念のため、これは僕の妄想です。というか状況からの推察ですね。
確かに珠理奈の決断によって、ゆりあに移籍のお鉢が回ってきた。でも、だからと言って
珠理奈のわがままで、ゆりあは犠牲者になったのだ。とはならないだろう。
仮にあのままゆりあがSKEにとどまったとしても、まだJRともに健在であった状況では、むしろ頭打ちの状態が続いていたであろうし、すでに女優志望という明確な目標があったのだから。
珠理奈にしても、むしろ個人的な芸能人としての将来を考えた場合は、依然として大手事務所の影響力が大きい芸能界において移籍の方がメリットは大きかったはずだ。
つまり
珠理奈はSKEへの愛とともに、”個人”より”公”を優先したのだ。
ヲタの中でも意見は分かれるかもしれない。席を譲るという意味で移籍すべきだったと思っていたヲタも一部でいるだろう。でも今にしてようやくセンターを小畑優奈に譲る形となったことを考えても、あの当時珠理奈がSKEを去ることは、やはり早すぎたように思う。
大局に立ち、SKEの顔として個人を乗り越え”本籍”をAKBに移すのではなく、あくまで栄に踏みとどまったという事実。
ここが松井珠理奈のターニングポイントと見て間違いない。
これが翌年松井玲奈卒業後の兼任解除の流れにつながっていることは言うまでもないだろう。
我々に見えないところでいろいろあったはずだ。
相当迷ったと思う、でも珠理奈はブレなかったのだ。
今までの幾千ものアイドル同様、東京に吸収されるのではなく、あくまで軸足を地元に置くという決断につながったのが、あのナゴドの「大声ダイヤモンド」だったのだ。
冷静に考えたらあの場面
なぜ”ソロ”での大声ダイヤモンドだったのだろうか?
オリジナルメンバーにこだわらなければフルメンバーでやることは難しくなかったはず。
やはり決定的にソロでやることに意味があったと考えるのが自然だと思う。
それがあの独唱前の不穏な空気の正体だ。
自らのデビュー曲でもある大声ダイヤモンドは
あくまで東京を本拠とするAKBの曲なのだ。
この、ある種の反逆はアイドルの歴史に残ると言って良いだろう。
俺たちの松井珠理奈は生まれも育ちもTHE東京の秋元康にNoを突き付けたのだ。
今、SKEは地元仕事や企業コラボがいつになく充実している。
あの時の珠理奈の”魂の決断”と、その後の苦境を支えてくれた幾多のメンバーの”汗と涙”があったればこそ、今SKEはかつての東京シフトではない、あくまで地元に軸足を置いた真の地方アイドルというスタイルを確立しつつあるのだ。