2017年9月30日土曜日

松井珠理奈、魂の決断〜ゆりあのAKB移籍、あの時何が起こっていたのか?


あの時何が起こっていたのか?



ゆりあの卒業を期に、あくまで僕の想像でしかないが当時の状況を改めて整理しておきたい。



2014年2月24日、グループ 史上最大規模の人事異動となったあの大組閣において、木崎ゆりあ(当時チームS)のAKB移籍が発表された。




遡ること数週間前の2月1日、2日。SKEは一つの到達点となったナゴヤドームにおいて念願のコンサートを開催している。




そこで何が起こっていたのか?今一度思い出していただきたい。祝祭であるはずのドーム会場全体が不穏な空気とともに、凍りついた瞬間があったことを。






そう



珠理奈が「大声ダイヤモンド」を独唱する前に、妙にあらたまった様子で語り出した、あの時だ。結局何も起こらなかったのだが、あのような雰囲気になったのは一体なぜなのだろうか?




ズバリ、珠理奈はあの時 秋元康から”AKBへの移籍” を打診されていたように思う。




兼任から移籍に移行するのはその後多々見られたケースだが、当時チームKと兼任状態にあった珠理奈もまた岐路に立たされていたのだろう。その年の大晦日に大島優子が卒業発表することにもつながっている。



秋元康からボールを渡されていたものの、それをこの会場で投げるかどうかは珠理奈次第。ややケースは異なるが前田敦子の卒業発表時と同じ状況だったのだ。



秋元康から「決断し、ここで発表するかどうかは君次第だがどうする?」というボールを渡された状態。




でなければ、説明がつかない。




ギリギリまで悩んだ珠理奈の逡巡が、あの独唱前の不穏な空気を作り出したのだ。





結局、紆余曲折の末、珠理奈の兼任が解除されたのは2015年の夏。




2012年、西武ドームでの兼任発表から始まっていた綱引きの帰結が兼任解除=SKEへの帰還であり、その後の所属事務所への移籍だろう。


当時、優子卒業を見据えた後釜のエースとして珠理奈のAKB入りが大手芸能事務所移籍のための条件だったとすれば、その後あれほど事務所移籍が遅れたことにも納得がいく。



芸能界での先を見据えた場合、SKEにいるよりAKBの方が何かと都合が良いし、これからの後輩への道筋にもなる。だが、珠理奈は栄にとどまることを決断した。




ではこの道筋をどうするのか?




珠理奈が移籍となった場合のセンター候補筆頭の一人で当時から女優志望であった木﨑ゆりあに、その白羽の矢が立ったのだ。




(つづく)

今、そこにあるマジ!<SKE48激励ブログ>: 松井珠理奈、魂の決断〜ゆりあのAKB移籍、あの時何が起こっていたのか?②